鹿チャンネル

旅行好き食いしん坊の鹿と申します。

無題

4月の中頃、母が亡くなった。
まだ少し肌寒い4月某日の早朝、父から電話があった。
時間が時間だったのでドキッとしたが電話の内容は良くない意味で直感を裏切らなかった。
母に会うため、仕事を終えてから実家に帰って色々話した日の3日後のこと。
急だった。


2020年の夏にガンが見つかり、その時点で医者から
「もう年は越せないだろう」
と言われたにも関わらず抗がん剤治療で一旦は体調も回復して食欲も旺盛で元気に過ごしていた。
家族で日帰り温泉旅行にも出かけた。
奇跡かと思った。
でも奇跡なんてそうやすやすと起こるものじゃない。
いや、医者の見立てより2年近く命を長らえたのは奇跡というべきなのかな。
分からない。

今年、2022年の年明け頃からまた体調が悪くなってきた。
入退院を繰り返したけど最終的には自宅での訪問看護を選択した。
可能な限り実家に帰って母の顔を見に行った。
私の顔を見せに行った。

気が強くて強情で男勝りな性格の母だった。
よく衝突もした。
顔を合わせたくないと思った時期もあった。
そんな母が大人しくなって弱気な事を口にするようになって胸がざわついた。
心の底から元気になって欲しいと思った。
でも70歳で逝ってしまうなんて早すぎる。
顔を合わせたくないと思った時期もあったのに今更自分勝手かな?

父からの電話を切ってすぐに実家に帰った。
眠るように横になっていた。
3日前に話したばかりなのにもう何を言っても答えてくれない。
弟妹もそれぞれの子供、配偶者を連れて帰ってきた。
まだまだ小さい孫たちはの祖母の死を理解していない。
悲しむどころか普段会えない従姉妹と会えてお正月やお盆感覚で楽しそうに騒いでいる。
妹が母にすがって泣いているのを不思議そうに見ている。
なぜ自分の母親が祖母に抱きついて泣いているのか理解できていない様子。
そっか、まだ分からないよね。

母の葬儀が終わるまではつかの間の賑やかな時間だった。
母は話しこそしないけど目の前で眠っている。
そこに居る。
触れば冷たい母の手を握ることも頬をなでる事もできる。
ただ、動かないだけ。
火葬が終わって母の存在が物理的にこの世から無くなってしまったと実感した。
もう触れることも出来ない。
微笑む遺影の中にしか母はいない。
というかもはや記憶でしかなく、ふとした時に淋しさが滲み出てくる。
もっと母との時間をこう過ごせば良かった、とか今更考えてもどうにもならない後悔がさざ波のように足下に纏わり付いてくる。

祖父母の死、友人や知人の死、母の死という事実と直面して、長い時間を経て死の捉え方が深まってくる。
ぼんやりとしていた死。
どこか見知らぬ遠い異国で発生した自然災害のように感じていた死が現実味を帯びてこちらへ向かってくるような気もする。
いや、自分が祖父母や母の後に並んで死に向かっている。
それは私の子供も姪っ子、甥子達も同じこと。
今は分からなくてもこう言う機会を通して死を徐々に理解していくのだろうと思う。
死を理解して、そしていつかは分からないけど必ずやってくる自分の死についても頭をよぎる日が訪れるんだと思う。

一人でぼーっとしていると知らぬ間に淋しさとか自分の生き方とかに思い耽ってしまう。
いつまでもこんなではいけないので忌明けに際して自分の気持ちを整理してみた。
また普通の生活を営もうと思う。