鹿チャンネル

旅行好き食いしん坊の鹿と申します。

近鉄奈良線の一部が移設?

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関西人、特に近鉄奈良線沿線住民としては気になるニュース。
近鉄ファンの中でも話題にあがっています。
平城宮跡横断の近鉄奈良線、県・市と移設協議へ :日本経済新聞

記事の内容をザックリ紹介すると近鉄奈良線の一部が平城宮跡のど真ん中を地上通過しているので奈良県としては退けて欲しい。
線路を平城宮跡の外へ移設せよ、と。

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https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61604630W0A710C2LKA000/ から画像拝借


これに対して近鉄側の見解は

近鉄は(1)行政側が費用を全て負担する(2)運行時間など現在のサービス水準を維持する――の2点を協議に応じる前提条件としている。「現段階で決まっていることはない」(同社広報)とし、具体的な計画は今後の協議の場で議論するとしている。

コレね、近鉄の肩を持つ訳じゃないですが近鉄側の言い分は凄く分かります。
タイムリーというか丁度今読んでいる書籍の中に以下のような記述があります。
近鉄沿線の不思議と謎 (じっぴコンパクト新書)
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近鉄が平城宮跡のど真ん中を通過するようになった歴史。

 奈良線は、近鉄の前身・大阪電機軌道が一九一四(大正三)年四月に開通した。じつはこのときはまだ、平城宮跡は史跡とされていなかったため、路線を敷くことに何の問題もなかった。
 当初、大阪電気軌道は西大寺(現・大和西大寺)から奈良までをまっすぐ結ぼうと計画していた。しかしその計画路線は平城京の大極殿跡を貫くものであった。そこで大阪電気軌道は貴重な史跡を保護するという観点から朝堂院跡の南で大きくカーブを描く路線へと変更したのである。大極殿跡と朝堂院跡が史跡に指定されたのは一九一二(大正一一)年のことだった。

近鉄が平城宮跡の中に線路を敷いて居座っているかのような誤解をされたらちょっと複雑な気分になりますね。
もともと近鉄(前身の大阪電機軌道)が線路を敷設する時、平城宮跡は史跡ではなかったのですからね。
しかも当時は史跡を保護する為、自主的に奈良まで直線コースじゃなくて態々迂回して線路を敷設した。
言わば文化財保護の功労者ですよね。

交渉もどのように進むのか不明です。
「行政側が費用を全て負担する」という近鉄の主張には大賛成。

久しぶりに鉄道のお話しでした。