鹿チャンネル

旅行好き食いしん坊の鹿と申します。

日馬富士の暴力事件について思う。

全くホテル、エアライン、ポイント・マイルに関する内容ではないですがこんなことも記事にしてみようかなぁ~って思います。連日テレビで騒がれているこのニュース。

www.nikkei.com

暴力はダメを前提に各局でコメンテーターが色んな持論を展開しています。個人的な印象ですが各コメンテーターはこの事件に対してどのようなコメントをするかで視聴者からどのようなリアクションを受けるか?を気にしながら話しをしている感を受けます。自分のイメージアップ、ダウンに直結するので当然ですよね。仕事とはいえご苦労様です。

 

憶測を含め色んなコメントがあるので私なりに頭の整理をしてみようと思い相撲部屋を家親方を保護者力士を子供と定義します。あっ、ついでに相撲協会は学校、報道陣はPTAとでもしておきましょうか。

伊勢ケ浜家の子が貴乃花家の子に怪我をさせた。貴乃花家のお父さんは捜査機関に告訴した。伊勢ケ浜家のお父さんと怪我をさせた子供が貴乃花家に謝りに行ったけど応じて貰えない。

まぁ、一般的にも子供同士の喧嘩で(この件は喧嘩じゃなくて一方的ですが)相手が謝罪に来ても子供が会いたくない、親も子供同士を合わせたくないと思えば貴乃花家のお父さんみたいな応対になると思います。

で、伊勢ケ浜さん親子は学校、PTAの前で説明をし、伊勢ケ浜家の子は自主退学を決めました。一方、貴乃花さん親子は学校から説明を求められても告訴してるから捜査が終わるまでは学校への説明は行わないと主張。

被害届の提出だけじゃなくて告訴なので加害者を処罰して欲しいという明確な意図が伺えますね。貴乃花家のお父さんは激オコ、本気って書いてマジモードってことしょう。

ザックリしてますが以上のような構図でしょうか。

 

ここでちょっとだけ断線しますね。

以前、ジャズトランぺッターの日野皓正氏がコンサート中に中学生をボコボコにしたニュースがありましたよね。結構大きく取り上げられましたが事件にはなっていません。

www.sankei.com

今回の日馬富士の件と日野氏の件の違いは

①日野氏は暴力は振るったけど怪我をさせていない。暴行だけど障害じゃない。

②暴行を受けた側(中学生とその保護者)が被害届を出していない。

この辺が大きな違いかなぁと思います。に関しては中学生が殴られて耳が痛いとかは言っていたかもしれませんよ。でも被害届を出してない以上、捜査はされませんし勿論認定もされませんよね。

で、私が不思議に思ったのは日野氏の件、証拠(暴行現場の動画)があって全国ネットで放送されていて恐らく警察も見ているでしょう。でも事件にならないのは何故?と疑問に思ったんです。

だってね、自らの危険運転をドライブレコーダー等で撮った動画をYouTubeやSNSにアップしてそれを見た警察に捕まている〇カな人達もいるんですよ。でも日野氏の場合は動画が報道されたにも関わらずお咎めなし。この違いが不思議でグーグル先生に聞いてみました。そしたら親告罪ってのがあるそうなんです。

keiji-pro.com

親告罪とは、被害を受けた側からの告訴がなければ検察が起訴できない犯罪のことを言います。

だそうです。暴力をふるった日野氏と暴力をうけた中学生の関係はコレに当てはまるんですね。タラレバの話しですが日野氏の暴力で中学生が相当の怪我をして保護者が告訴でもしていたら日馬富士の件同様、日野氏もヤバかったんでしょう。

危険運転をして動画サイトやSNSに自らアップするってある種の申告ですよね。(←しんこく違いで座布団一枚。ってスイマセン)

 

で日馬富士の件に戻りますね。

被害者の怪我の有無や怪我の度合

被害者側の対応、告訴するのか、しない(示談にするのか)のか

で加害者側の未来が大きく違うという事。仮に被害者側が重症でも示談交渉の内容如何では被害届を提出していても告訴はしない、または告訴を取り下げるという前例はありますよね。ドラマのように闇の大きな力が働いた、福沢さんが沢山積まれた。とかで。

 

暴力はダメ。そりゃそうですよ。このダメってのは道徳的に、常識的にという考えに則してダメなわけですね。

法的にダメかセーフかは被害届や告訴が受理され捜査機関が動き出したらダメ(アウト)になる見通し濃厚ってことで、日野氏の件は結局事件にならなかったからか日野氏の暴力はセーフだとみなす論調が多かった。よって「中学生は殴られても仕方ない」と日野氏の暴力に一部理解を示すコメンテーターもいました。これは報道的にもセーフな暴力ってジャンルだと勝手に思ってます。(※私は暴力を肯定している訳ではないですよ。日野氏の場合は空気(世間、お茶の間?)が氏の暴力をアウトとしなかったという感覚でセーフという言葉を使ってます。)

 

一方、日馬富士は事件になっちゃってますからアウト。そんな状況で暴力に一部理解を示すコメンテーターがいたら視聴者から、または出演依頼されている局、番組から何を言われるか分かりませんからね。内心では貴ノ岩は殴られても仕方ないと思っているコメンテーターもいるかも知れませんがテレビでは言えませんよね。

 

私なりの勝手な解釈と纏め

日馬富士は書類送検される見通しと報じられています。検察がアウトのお墨付きを与えた(与えるであろう)暴力に対しては報道的に完全アウト。コメンテーターもアウトの論調。だって日馬富士(暴力)を擁護、容認したら国家権力が下したアウトのジャッジに異を唱えることになりますからね。

でも捜査機関がアウト・セーフのジャッジに関与しない(被害届、告訴状が出されない等)暴力の場合は日野氏の件のように「殴られた側も悪い」「殴りたくなる気持ちも分かる」と暴力をふるった側に理解を示すコメントも出るという仕組みなんだと思います。

道徳的な感覚では凄く単純に暴力はダメ。

でもその暴力を世論がアウトとするかセーフとするかは捜査機関の関与の有無によって報道が世論をリード(醸成)するって構図かなと思いました。 

そんな感じでダラダラと一般人、いち視聴者として日馬富士の件を通じて暴力に対する印象を考えた次第です。

 

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